朝日新聞天声人語
朝日新聞 天声人語
朝日新聞天声人語 S58.7.28(1983)

 水琴窟(すいきんくつ)というものを初めて見た。見たというよりも、聴いたといったほうがいいだろう。地下からきこえてくる音は、繊細で、しめやかで、そのくせちゃめっ気があって、なかなかの味わいだった▼おおざ っぱにいえば、手水鉢(ちょうずばち)やつくばいの近くに、つりがね状のかめを伏せて地中に埋めこみ、中を空洞にしておく。かめの底にあけた穴から水がしたたり落ちると、水滴の音が反響して妙音を出す仕掛けをつくる。それを聴いて楽しむのが水琴窟だ(洞水門ともいう)。造園技術の最高傑作の一つだろう▼江戸から明治にかけては盛んに愛好されたそうで、品川の旧吉田記念館の庭園に残っていることを本紙東京版が伝えていた。昨今はすっかり廃れたが、東京の小林玉来さんの家に新しくつくられたものがあるときき、見学させていただいた▼縁側の手水鉢のすぐ前は玉石で、その下に、大きなかめが埋めこまれている。水を注ぐ。間があって、ぽぽぽん、ぽん、ぽぽんと静かな音が地中からかすかにきこえてくる。こんこんとくぐもった金属音にもなる。鍾乳洞で水のしたたる音をきくような、涼味がある▼まことに悠長な話だが、ぽぽんのあとの余韻がいい。余韻、余情、余香、余哀。昨今は「余」という文字をもつことばが余計者扱いにされ、肩身を狭くしている時代だけに、この清音がなつかしくきこえた▼昔の人は音について実にこまやかな神経をもっていた。風声にまじるこの微妙な音をたのしむゆとりを、あわせ持っていたのだろう。今は車の騒音が水声の余韻をかき消す。「これを作ってから車の音のうるささが気になりだしました」と小林さんがいった▼作ったのはもう引退した庭師の榎本伊三郎さんである。榎本さんは約五十年前の親方の仕事を思い出しながら作ったという。あるいは、今も健在の水琴窟が全国のあちこちにあるのかもしれない。

朝日新聞天声人語 S58.8.9(1983)

 「このあたり目に見ゆるもの皆涼し」は芭蕉の句だが、猛暑の日々はせめて、涼しげなものを見、涼しげな音をききたい。蛍、少女のゆかた、水中花、よしずとラムネのある風景、音では松の声、ひぐらし、鐘の音▼涼しげな音の最高傑作の一つは、水琴窟(すいきんくつ)の音だろう。騒音時代の今はほぼ絶滅したといわれる水琴窟のことを本欄で書いたら、「わが家の水琴窟は健在です」というお便りをいくつかいただいた。幻の水琴窟が各地に生きていることがわかったのは、大変な収穫だった▼徳島県の井形花枝さんの便りには「作られたのが江戸か明治かは定かでないが、わが家にも水琴窟がある。手水鉢(ちょうずばち)は 青石で高さ一b余、その左下に水がめがうつぶせに埋められていて、水がしたたるとポポン、ポポンと涼しげに響く。亡父はよく、これは古くて珍しいものだ、大切にせよといっていた」とあった▼愛知県の金子清さんの便りには「中庭に三カ所のつくばいがあり、それぞれに水琴窟がある。水滴が落ちると、金属性の琴のごとき音となる。私の家は文久年間に作られたものだが、水琴窟が同年代のものかどうかは不明」とあり、「夕立一過水の琴鳴りたそがるる」というご自身の句がそえられてあった▼古い能舞台の下にも、かめが使われている。大阪の大槻能楽堂移設のさい、舞台の下に口径一bのかめが七、八個、底のほうを土の中に埋めた形で置かれてあることがわかったそうだ。役者が足を踏み鳴らすときの響きをよくするためのものだろう。お寺の鐘下にかめを埋めこんでおくのも、長く鳴り響かせるための工夫らしい。▼昔は中学の柔道場の下にも大きなかめをいくつか埋めたものだ、と飛騨の大工の親方にきいたことがある。昔の人はそれほど「いい音」にこだわり、余韻を大切にした。水琴窟の発想は、その余韻の美学の頂点に立つものではなかろうか。

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